施設長便り(3) 「許容」と「受容」について 安藤 学

支援者として考えねばならないことの一つに、「許容」と「受容」のことがあります。
例えば、「ゴミ集め」という「こだわり行動」を行っている人がいたとします。袋がもうすぐいっぱいになりそうな状況を見て、支援者が新しく別の大きな袋を与えたとします。これは単なる「許容」とみなします。「許容」の場合は問題行動を助長しかねません。その人のために何かしてあげたいという素朴な気持ちが前面に出すぎると、支援の本質を外してしまうことがあるのです。
支援者としては「許容」ではなく「受容」の姿勢をとりたいと考えます。「受容」においては、まず、こだわり行動そのものを受け取ると同時に、その人を丸ごと受け入れていきます。丸ごとですので、その人の気持ちや行動の動機も受け入れます。関連して、その時の体調はどうか、本人が不本意に思う出来事はなかったか、対人関係のトラブルはなかったか、などに目を向け、その人の立場を総合的に理解し、受け入れていきます。
受け入れるとともに、なぜ、昨日は「こだわり行動」をしなかったのに、今日はこだわっているのか?なぜ、今日はいつもより長くこだわり行動が続いたのか?「受容」の姿勢をとることによって、見えてくるものがあるのです。見えてきたものの中に、改善のヒントがあり、そのヒントをもとにして新たな試みを行うことができるようになります。このヒントが専門家としての技術になります。これまでの経験を活かし、その人の行動に対して、いくつもの仮説を立てます。経験値、知識が多ければ多いほど、この仮説はいくつも立てられますが、逆の場合は偏った判断をしてしまう可能性が極めて高いと思われます。つまり、専門家の知識や経験値によって、受け入れたり、受け入れられなかったり、個人の想いを大切にされない支援につがるのです。
もう一つ、ここで押さえておきたいことは、経験ばかりで知識がない場合の例を挙げてみます。無知な人間が自分の考えだけで判断することで、必ずその判断に問題を抱える利用者が現れます。そこに気付かず支援を続けると、その家族にまで迷惑をかけることになりますが、これが認識のない虐待へとつながる場合もあります。
支援者がごみ集め用の袋を与えたのだが、あれでよかったのだろうか?本人はどう受けとめたのだろうか?袋をあらたに提供するとしても、その袋のサイズをより小さいものにすることによって、執着時間を短くすることは出来なかっただろうか?など、いろいろなことが推測できます。そのような検討から解決の糸口がみつかるのです。
「こだわり行動」は「問題行動」と言われていることもありますが、「受容」の姿勢をとると、「問題行動」の背景にこそ、目を向けるべき「問題」があることに気づきます。そして、もしかしたら、そしあるの支援に「問題」があったかもしれない、そしてそのことが家庭での「混乱」を招いているおそれはないだろうか?など、冷静な視点が生まれます。そこまで考え、そして推測し、支援を試みることが「受容」の姿勢であり、個性理解を深めた適切な支援につながるのではないか、と考えます。
例えば、「ゴミ集め」という「こだわり行動」を行っている人がいたとします。袋がもうすぐいっぱいになりそうな状況を見て、支援者が新しく別の大きな袋を与えたとします。これは単なる「許容」とみなします。「許容」の場合は問題行動を助長しかねません。その人のために何かしてあげたいという素朴な気持ちが前面に出すぎると、支援の本質を外してしまうことがあるのです。
支援者としては「許容」ではなく「受容」の姿勢をとりたいと考えます。「受容」においては、まず、こだわり行動そのものを受け取ると同時に、その人を丸ごと受け入れていきます。丸ごとですので、その人の気持ちや行動の動機も受け入れます。関連して、その時の体調はどうか、本人が不本意に思う出来事はなかったか、対人関係のトラブルはなかったか、などに目を向け、その人の立場を総合的に理解し、受け入れていきます。
受け入れるとともに、なぜ、昨日は「こだわり行動」をしなかったのに、今日はこだわっているのか?なぜ、今日はいつもより長くこだわり行動が続いたのか?「受容」の姿勢をとることによって、見えてくるものがあるのです。見えてきたものの中に、改善のヒントがあり、そのヒントをもとにして新たな試みを行うことができるようになります。このヒントが専門家としての技術になります。これまでの経験を活かし、その人の行動に対して、いくつもの仮説を立てます。経験値、知識が多ければ多いほど、この仮説はいくつも立てられますが、逆の場合は偏った判断をしてしまう可能性が極めて高いと思われます。つまり、専門家の知識や経験値によって、受け入れたり、受け入れられなかったり、個人の想いを大切にされない支援につがるのです。
もう一つ、ここで押さえておきたいことは、経験ばかりで知識がない場合の例を挙げてみます。無知な人間が自分の考えだけで判断することで、必ずその判断に問題を抱える利用者が現れます。そこに気付かず支援を続けると、その家族にまで迷惑をかけることになりますが、これが認識のない虐待へとつながる場合もあります。
支援者がごみ集め用の袋を与えたのだが、あれでよかったのだろうか?本人はどう受けとめたのだろうか?袋をあらたに提供するとしても、その袋のサイズをより小さいものにすることによって、執着時間を短くすることは出来なかっただろうか?など、いろいろなことが推測できます。そのような検討から解決の糸口がみつかるのです。
「こだわり行動」は「問題行動」と言われていることもありますが、「受容」の姿勢をとると、「問題行動」の背景にこそ、目を向けるべき「問題」があることに気づきます。そして、もしかしたら、そしあるの支援に「問題」があったかもしれない、そしてそのことが家庭での「混乱」を招いているおそれはないだろうか?など、冷静な視点が生まれます。そこまで考え、そして推測し、支援を試みることが「受容」の姿勢であり、個性理解を深めた適切な支援につながるのではないか、と考えます。
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